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ノクターン

ノクターン

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き寄せの法則でも 成功哲学でもなんでもそうですが、

 方法ばかりが書いてある。

 宇宙にお願いすでば、宇宙が叶えてくれるとかほっとした顔

 一昔前は 潜在意識がかなえてくれたんですが、

 ハウツーなんですよ、ホワイじゃない。

 何故、お願いすると それが其の通りになるのかを どの本にも書いていない。

 そもそもの最初に、世界=意識 ということをはっきりさせないと、何故其の方法がうまくいくのかがわからない。

 経験談ばかりが書いてある。

 いわしの 頭も信心からというように、それをただ信じればいいのでしょうが、
まあ うまくいかないことを、あなたはすでに知っている。

 でも、やりかたが 悪かったとか、続かなかったからと自分のせいにするんですね。

 そんなことはない。

 続かないのなら、それは やり方さえも悪い。

 ダイエットだって、辛く苦しい ものもあるわけです。

 一日 腹が減っても これしか食べられないと思えば 辛い。

 しかし、腹の減らないダイエットも あるわけです。

 まず、何故 世界は意識なのかということを はっきりさせる。

 それは、なんどもかいているように 鏡として現れているから。

 僕たちは、そのもの自体・本質はわかりえない。(カント)

 だけど、このように見えているのだからそうだろうという 現象学的考えかたではわかる。それが、自分の意識の鏡として現れてくるということを、理解する。


鏡ということは、見ているものが自分の心ということと同じ。

 私しか みえない。心しか見えない。

 我々は、泣けばなき 怒れば怒り、笑えば笑うこの世界、欠伸だって写っちゃうという、鏡の世界に住んでいる。

 我々は鏡だから 人によって 変わるわけです。

 老人に会えば 大きな声に 

 赤ちゃんに会えば 赤ちゃん言葉に

 嫌な上司は、上司ではなく あなたが嫌いなだけ

 年賀状が欲しいひとは 出せばいい。

 いろいろな例は あるけれど、世界は鏡として仮定して 説明のつくことが多い。

 見ている世界=脳のなか だから、取り替えてもいいというのが 理屈でもある。
X(見ている世界)=Y(見ている私の脳)は一対一の対応関係ですから、取り替えても同じ。

 このように 世界が鏡であるということを 知ると

 自分の意識のありように 意識が向くわけです。

 その視線が、この世界を創っているのですから。

 だから、お金持ちにないたいと願うことは、お金持ちになれないいまを創り上げると書いています。

 それなのに、あなたは いつも お金がないということに意識を向けている。

 そして、変わろうとして努力しているのに、何十年も同じように努力しているのに
変われないし、変わることはない。

 いままでと同じやり方で変われるわけもないのに、それさえ気づくこともない。

 すでに 満たされていることに 気づく。

 すでに 幸せであることに 気づく。

 それが、どんな状況であっても。


お金持ちのふりをする

 やさしいふりをする

 歌手であるふり 画家であるふり 著作者であるふり ピアノの先生であるふり 等々

 なりたいものは ふり をしてみる。

 どうしてふりをすることが いいのかというと

 感情を 味わうということがあるだろう。

 寄付をして お金持ちのふりをするということは

 潜在意識に 「私は すでに お金持ちである」という感情を植えつける。

 ピアノの先生の感情を体験できるし 著作者の感情を体験できる。

 大切なのは 感情・価値観・ものの見方・、まなざし であって、

 そのものではない。

 自分には そんな力量はないと思う必要は ないのである。

 それが スーパーエゴであって、あなたを守ること しか 考えていないのだ。

 すでに そうなることでいい。

 努力して頑張ってなるのではなく すでに そうなること。

 そして その感情を味わう。

 そういう意味で 写真や文字をみることは、有用だろう。

 なろうと思ってみるのではなく、ただ見ることで いいのだ。

 世界=感情の反映 →  その感情をふりをして 前もって 味わう

 あとは、誰かに感動を与えたい仕事をしたいとすれば、

 自分が感動すること。

 自分が感動することなしに、誰かに感動を 伝えることはできない。

 この受け取り~模倣~鏡 の作用があるので、

 何に意識を向けているかに いつも 注意すること。

 その意識を向けているものが 現実になる。

 玄侑さんは、禅の境地の一つとして 「うすらぼんやり」という。

 宮沢賢治は でくのぼう。

 それは、何かに意識を向けるということを いわば超越して あるがまま の現実を受け容れるということになる。

 意識の焦点を一切当てないこと。

 いろいろな やりかた 生き方があって、そのなかから いろいろ楽しむことが出来るってもの。

 感情は 波動そのものでしょうね。

 見えなくても 伝わり共鳴するでしょ、離れていても。


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